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2026年 イースター(復活日)礼拝

2026年 イースター集会

百合の花

イースターは、イエス・キリストの復活を記念するキリスト教のおいわいの日です。
キリストの十字架と復活は、現代に生きる私たちにも大きな希望を与えるものです。聖書は、クリスマス以上に、キリストの復活の希望を伝えています。ご一緒に教会でイースターを祝いませんか。

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、 …… 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、 この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。 ―聖書―

4月5日(日)

  • イースター子ども会 午前 9:30~10:30
  • イースター礼拝 午前11:00~12:00
  • イースター 夕礼拝 午後2:30~3:30

※どの集会も参加費無料です。

イエス・キリストの復活はこの世のゆがんだ力に対する勝利

 聖書は、神がイエスをよみがえらせてくださったと教えています。イエス復活の意味の一つは、この世の歪んだ裁きに対する勝利です。この世では、正直な者、誠実な者が顧みられるとは限りません。口が上手な人、外見が魅力的な人、人脈・金のある人、そのような人が力を持ち、事実をゆがめ、自分たちに都合の良い価値観を広めてしまうことも少なくありません。しかし、イエス・キリストは、この世で影響力を持つ、あらゆる力を捨てられました。ご自分を認めさせることに力を使わず、人の罪を背負うためにしもべとして誠実に従われました。神は、このような方こそ高くされる。それがキリストの復活なのです。

 また、ご質問等ございましたら、問い合わせフォームから是非お問い合わせください。

世が認めない真実さに光を照らす復活

 昨今、「力による現状変更」が世界で横行し、多くの人の生活やいのちをおびやかしています。そこには、この世の力によらない正直さ、誠実さ、思いやり、謙遜、愛に対する失望があるのではないでしょうか。

 確かにこの世は、様々なものが力を持ち、真実さの価値を低くしてしまいます。どれだけ正直に生きても、誠実に生きても、結局ずるがしこく、うまくやってのける人が先に行ってしまう。そのような人が人気を集め、周囲の人の意見や価値観をコントロールしてしまう。そのような現実が多々あるのではないでしょうか。

 2,000年前の地中海周辺世界もそうでした。ローマ帝国が世界を支配し、皇帝に取り入る者が大きな力を持ちました。イスラエルでも、神を尊んでいるように言いながら、実際には、大祭司たちはローマとの取り引きを重視し、表と裏を使い分け、神とローマの権威を利用しつつ民衆を支配していました。また、ファリサイ派と呼ばれる人たちは、そのような世俗権力に反発して始まった運動でしたが、次第に偽善に陥り、聖書よりも派閥で力ある指導者・先祖の意向が重視され、自分たちの厳格な教えに従えない人たちを「地に属する民(アムハーアーレツ) 」と呼び、見下すようになりました。

 その中でイエスは、この世のあらゆる肩書きに頼らず、派閥にも入らず、だからといって自分を高くしようともせず、ただただ聖書の神の教えに従われました。弟子に裏切られ、理不尽な裁判を受けても、争わず、ののしらず、犯罪人のように辱めを受け、苦しめられ、誰にも認められずに死にました。弟子たちでさえ、逃げました。この世の価値観では、だれもイエスの誠実な歩みに価値を認められず、敗北者・神に呪われた者としか映りませんでした。

 しかし、このようなイエスを神はよみがえらせて、この世の歪んだ裁きに対して勝利されたのです。

このイエスの卑しい十字架と復活による勝利を聖書は預言していました。

虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと(イザヤ書53:8)。

家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった。
これはがなさったこと。
私たちの目には不思議なことだ。 (詩篇118:22~23)

(聖書の預言は単に未来を言い当てるもの(予言)ではなく、そこに起きる人間のの態度と、その人間に対してなされる神のみざわとそこに込められたメッセージが示されています。)

 たとえ、この世が価値を認めず、勝手な価値基準で真実をゆがめ、裁いたとしても、結論をくだしたとしても、神はこの世の歪んだ裁定を覆し、神に信頼し、真実に生きる価値を証明された。それがイエス復活の重要な意味の一つだったのです。

 確かにこの世は、正直者がバカを見る世の中に見えるかも知れません。けれども、そのこの世において、イエスをよみがえらせた神のみわざがある。そこに希望があります。なぜなら、この復活の意味は、イエスと同時代に生きる、まさにこの世の権力、この世の価値観に支配されている同時代の世を生きる人たちに語られたからです。イエスが十字架に架かられる前に、弟子たちに教えられたからです。イエスの復活は、決してこの世離れした、現実離れした希望ではありません。現実を生きる人たちに、今、この社会の中で生きる者たちへの希望として語られたのです。それが聖書です。

 是非、この希望を教える聖書の教えそのものに耳をかたむけませんか。