2021年 イースター礼拝
2021年 イースター集会
イースターは、イエス・キリストの復活を記念する
キリスト教のおいわいの日です。
わたし(イエス)は、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。―聖書―
4月 4日(日)
※どの集会も参加費無料です。
イエスの復活は苦難に打ち勝つ力
否応なしに襲ってくる苦難もあれば、その中でも正しい道や、自分よりも他の人を大切にするために受ける苦難もあります。真面目な人ほど苦しまなければならない世の中だとしたら、非常に理不尽です。イエス・キリストの死は、ある点でこの世の理不尽さを代表する死でもありました。けれども、神はイエスをよみがえらせ、この世の理不尽さに勝利する道を開かれました。キリストの復活を信じた人たちは、善いことのために苦しむことがあっても、耐え抜く力が与えられました。それだけでなく、その苦難は他の人を励ます力ともなっていきました。聖書の教える復活の希望を、ともに聞きませんか。
イエスの復活は苦難に打ち勝つ力
実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。 神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。 (ー聖書ー Ⅰコリント1:9~10)
敢えて苦しむことの理不尽さ
今、世界中で大勢の方が苦難の中にあります。それは新型コロナウイルスという問題によるものです。しかし、苦難の本質は病そのものよりも、病のゆえに行動が制限されてしまうこと、そのことにより人間関係や生活に影響が出てしまうことのように思います。行動が制限されれば生活が苦しくなる。制限を取り払えば、ウイルスは拡がる。しかし、すぐに結果が見えるわけではない。そのような中で、敢えて苦しい選択をしたり、感染の可能性を人に知らせるリスクを負うことは、非常に難しいことです。良いことだとわかっていても、その行動を選択した結果、人からどう見られるか悩みます。そして、生活苦は心配だけの問題ではなく、ある人を確実に苦しめます。そして、苦しむ度合いは職業や地域、家族構成によって異なるという不公平感はぬぐえません。このような中で、助け合い、他の人を守る選択をし続けて行くというのは、決して簡単なことではありません。
理不尽に打ち勝つ復活の希望
しかし、キリストの復活は、信じる人に苦難に打ち勝つ希望を与えました。一つは、良いことのために、敢えて苦しむ勇気。もう一つは、自分の間違いや罪を認める勇気でした。聖書のコリント人への手紙第2には、そのことが取り扱われています。正しい事のために敢えて苦しむこと、罪や過ちを犯してしまったときに、正直に打ち明けること。神が無実の罪で十字架につけられたイエスをよみがえらせたという事実が、この問題に勝利を与えるということを、この手紙の著者パウロは、自分の経験を通して伝えています。さらに、そのような苦しみの経験は他の人をも励ます力となるとも伝えました。
私自身、自分の弱さを覚えながらも、この希望によって支えられている者の一人です。
確かに、キリストの復活は聖書の教えの中で最も信じがたいことの一つです。けれども、ここにこそ、苦難を耐え抜く力があります。是非、このイースターに、聖書の教える希望について、ともに耳を傾けませんか。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません