ほんとうのクリスマスを教会で…
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。」 ー 聖書 ー
12月23日(日)
- クリスマス礼拝
- 午前11:00~12:00
クリスマスの讃美を歌い、聖書からメッセージを聞いて、クリスマスを祝います。
- クリスマス祝会
- 午後1:30~3:00
茶菓と軽食を囲み、讃美と短いメッセージの時を持ちます。日曜学校生徒による劇もあります。
- クリスマス子ども会
- 午前 9:30~10:30
クリスマスの讃美、お話、クリスマスの工作などをします。
※どの集会も参加費無料です。
クリスマスのほんとうの価値
私たちは、いつもプレゼントを喜べるわけではありません。むしろ、期待しないプレゼントに当惑することさえあります。当惑する場合の一つに、そのプレゼントの本当の価値を知らない場合があります。最初のクリスマスのとき、多くのイスラエル人は救い主到来を待ちわびていたにもかかわらず、神が贈ってくださった救い主の価値に気づけた人は、ほんのわずかでした。そして、多くのユダヤ人は、救い主がまだ来ないかのように今も待ち続けています。けれども、救い主は確かに来られたのです。それがクリスマスです。クリスマスの時に、神が救い主を贈ってくださった本当の意味・価値に目を留めてみませんか。そして、本当のクリスマスをともに祝いませんか。
クリスマスの私たちへのメッセージ
神のしるし - 幼子として来られた救い主
神の救いの「しるし」……それが家畜小屋で生まれた幼子
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです」- 聖書 -
これは、最初のクリスマス、つまり救い主がお生まれになった夜に、御使いが羊飼いたちに告げた言葉です。当時、多くのユダヤ人が期待した救いは、彼らを支配していたローマ帝国からの解放でした。御使いがこの言葉を告げた時、天からの軍勢が現れました。劇ではよく、羽根の生えた天使で現されますが、聖書には「軍勢」と記されているので、おそらく武装した軍隊の一団の姿をした御使いだったと思われます。ところが、実際にはこの軍勢は羊飼いに姿を見せただけであり、すぐに見えなくなってしまいます。そして、神の救いの「しるし」として与えられたのが、家畜小屋で飼い葉おけに眠る幼子だったのです。
幼子は、かわいいかも知れませんが、とても救いの力があるようには思えません。しかし、この幼子こそ、天の軍勢さえもひれ伏す、力ある方であると、神は示されたのです。
幼子の姿で現れた救いは人の心をさぐる「しるし」
当時、ほとんどのユダヤ人は救い主を心待ちにしていたにもかかわらず、この救い主のお生まれを祝い、喜んだ人はわずかでした。人は、兵器の力、人数の力、この世の権力、富、人脈などが自分を守ると思うからです。まさか、家畜小屋の飼い葉おけに寝かされた幼子が、自分たちの救い主とは、とても考えられなかったのです。
だからこそ、神は幼子の救い主を「しるし」として与えられたのです。それは、武器や人数、権力、富、人脈などに救いはないし、それらはかえって、正しい道をねじ曲げ、本来あるべき人の姿から、人を引き離しさえするからです。幼子の姿で現れた救い主は、人が何に価値を求めているかを明らかにする「しるし」だったのです。
見た目にとらわれず神の「しるし」を信じた人の喜び
最初のクリスマスを喜び、祝ったのは、この「しるし」を見て、私の救い主と信じた人たちだったのです。彼らは、当時見下されていた羊飼いであり、社会的地位の低かった女性であったり、若いころに夫を失い、神に希望をおいて生きて来た女性であったりしました。そして、この人達こそ、本当の意味で神に信頼する人たちだったのです。
また、彼らは自分こそ救われて当然とは考えず、神に喜ばれない生き方をしてきたことを認め、心に痛みを覚える人たちでもありました。そのような彼らこそ、この「しるし」を受け入れることができ、喜ぶことができた人たちだったのです。
あなたも、このような救い主のお生まれを、ともに祝いませんか。
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