ほんとうのクリスマスを教会で…
「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと
「神が私たちとともにおられる」という意味である。
ー 聖書 ー
12月24日(日)
- クリスマス礼拝
- 午前11:00~12:00
クリスマスの讃美を歌い、聖書からメッセージを聞き、キリストの降誕を祝います。
ライブ配信はこちらから
- クリスマス祝会
- 午後1:30~3:00
- 軽食
- クリスマス讃美
- 子どもたちのクリスマス讃美
- 聖書からのクリスマスメッセージ。
- みことばと讃美のキャンドルサービス
午前 9:30~10:30
午後 8:00~9:30
- クリスマスの箇所の聖書朗読とクリスマスキャロルで、静かにクリスマス・イヴを祝います。
※どの集会も参加費無料です。
ほんとうのクリスマスの喜びとは
クリスマスは、イエス・キリストのお生まれの日です。そのお生まれが、なぜ喜びなのでしょうか。最初、イエスを子としてさずかったマリアとヨセフは、ある点で自分たちの喜びをあとまわしにしなければなりませんでした。しかし、そこにこそ、自分たちの手では生み出せない価値と喜びがあったのです。自分の願いどおりになることが幸いとはかぎりません。むしろ、自分の願いを後回しにしたところにこそ、クリスマスのよろこびはあります。神がともにいてくださる本当のクリスマスを教会で祝いませんか。
クリスマスの私たちへのメッセージ
神がともにいてくださるクリスマス
預言の成就 インマヌエルの到来
「見よ、処女が身ごもっている。 そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」 それは、訳すと
「神が私たちとともにおられる」 という意味である。 - 聖書 -
最初のクリスマスは、驚くべき喜びをもたらしました。 とくに喜びとは無縁と思える、田舎の目立たない夫婦に光を照らし、 大きな喜びをもたらしました。
救い主をみごもったマリアは、古代イスラエル王家の血筋を引いていましたが、 王家は途絶え、 田舎で貧しい生活を送っていました。 しかし、その彼女の胎を通して世界の王たる救い主が来てくださる。 み使いは、 彼女にそう告げたのでした。 み使いが彼女に告げた救い主の称号、 それはインマヌエルで
した。 インマヌエルとは、 預言者イザヤが記した預言の言葉であり、神が私たちとともにいてくださるという約束の言葉でした。
自分の都合を後回しにして神の恵みを受けたマリアとヨセフ
しかし、マリアと婚約者ヨセフにとって救い主のお生まれは単純に喜べるものではありませんでした。 イエスが処女マリアに宿るということは、第一にマリアの貞節が疑われました。 第二に、 イエスが生まれるまで、 夫婦生活も制限され、二人の愛の結晶としての自分たちの子どもを見るのを、後回しにしなけ
ればならなかったからです。 しかし、 二人にとって夫婦を通して救い主が与えられるということは、それにまさる喜びだったのです。 なぜなら、 二人の新しい家庭に神ご自身が来てくださったからです。
何かを握りしめた手ではプレゼントは受け取れない
このように神の祝福を受けるためには、 自分の都合、喜びを後回しにする必要があります。 手に何かを握っていては、 神からのプレゼントは受け取れないのです。 しかし、そこにこそこの世が生み出すことの出来ない、 上からの平和、平安、 祝福があるのです。
現代のクリスマスは、 商業主義と欲に毒されていないでしょうか。 最初のクリスマスは、自分の都合、欲、 自分中心の喜びを後回しにした者に、大きな喜びと祝福があったのです。 今も、 自分の都合や願いを後回しにして、神のみこころ、 解決を求める人のところにこそ、クリスマスの喜び、 祝福があるのです。 神がともにいてくださるクリスマスをご一緒に祝いませんか。
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