2017年 クリスマス集会

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クリスマス集会案内チラシ

ほんとうのクリスマスを教会で…

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。」 ー 聖書 ー

12月24日(日)

クリスマス礼拝
午前11:00~12:00

クリスマスの讃美を歌い、聖書からメッセージを聞いて、クリスマスを祝います。

クリスマス祝会
午後1:30~3:00

茶菓と軽食を囲み、讃美と短いメッセージの時を持ちます。

クリスマス子ども会
午前 9:30~10:30

クリスマスの讃美、お話、クリスマスの工作などをします。

※どの集会も参加費無料です。

ほんとうのクリスマスのよろこびとは…

祝いごとの日には、必ず影があるものです。はなやかな祝い事の影には、楽しむことのできない寂しさを抱えた人たちがいます。そしてクリスマスでさえ、祝えない寂しい人をつくりだしています。しかし、本来クリスマスとはそのような時ではありません。最初のクリスマスは、世の中で最も光のとどかないところに、喜びと栄光の知らせが届いた日だったのです。当時、ユダヤ人がさげすんだ羊飼い、異国人、そしていなかで育ったマリヤとヨセフのところに、最初に光が届いたのです。その光とは、どのような希望だったのでしょうか。人の暗い心が生み出す闇を照らした光とは何か。ともにクリスマスの意味をおぼえ、教会で本当のクリスマスを祝いませんか。

クリスマスの背景と私たちへのメッセージ

クリスマスは預言の成就

クリスマスは、救い主イエスのお生まれを祝う日です。この救い主のお生まれは、ずっと前から預言されていました。旧約聖書全体が救い主の到来を預言していますが、とくに顕著なのがイエス誕生の約700年前に書かれたイザヤ書やミカ書です。イザヤ書にはイエスが処女からお生まれになること(イザヤ7:14)、「神が私たちとともにおられる(インマヌエル)」しるしとして与えられることなどが預言され、ミカ書ではイエスがベツレヘムでお生まれになることが預言されていました(ミカ5:2)。

救い主到来が預言されたのはユダヤ人が神を拒んでいたとき

 救い主到来は、だれもが待ち望んだことのように思いますが、実はイスラエル南王国ユダが、神に逆らい、神を拒んでいたときに与えられたものでした。当時南王国ユダは、隣国アラムと親族である北イスラエルから攻められるという亡国の危機に瀕していました。その中で、王はさらなる脅威であるアッシリヤ帝国の軍事力に助けを求め、あるいは当時、即時的な効果があるように見えたアラムの神々に助けを求めました。それに反して国民は、北イスラエルやアラムとの同盟を受け入れて、機嫌を取り、難を逃れることを求めていました。神がイザヤを通してご自分を信頼するよう告げたにもかかわらずです。

王も国民も、神に信頼し、公義を求めて誠実に生きることよりも、目の前の即時的な助けを信頼したのです。ところが、アッシリヤは北イスラエルを滅ぼし、ユダ王国自体は、一時的に難を逃れますが、アッシリヤはさらにユダ王国をも追い詰めていきました。

実は、このように「神などいない」、「神に助けを求めることなど無意味だ」と思っている人々に救い主を送る約束をされたのが、メシヤ預言だったのです。

さからう者を救わんとする神の愛

私たちは、正しく誠実に生きても、今の人間関係や利便性、安全を失っては何にもならない、そのように考えがちです。しかし、長い目で見ればそのような考えがかえって問題を引き起こし、人を傷つけ、また自分さえも滅ぼしていくことが少なくありません。今は誰もが悪と認めるヒトラーも、当時経済的に逼迫していたドイツ国民にとっては唯一の助けに思えたのです。しかし、それは大変な虐殺と悪を産み出していきました。このように自己矛盾をはらみ、求めるべきものを間違う私たちを救うために神は救い主を送ってくださったのです。このように人が道を誤るのは、まことの神から離れた罪であると聖書は教えます。人はそれを罪だとは認めたがりません。けれども、そのように神を拒む私たちを罪から救うために神は愛する御子を送ってくださったのです。それがクリスマスなのです。