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2022年 イースター礼拝

2022年4月10日

2022年 イースター集会

百合の花
イースターは、イエス・キリストの復活を記念する
キリスト教のおいわいの日です。

わたし(イエス)は、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。―聖書―

4月 17日(日)

イースター礼拝
午前11:00~12:00
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イースター子ども会
午前 9:30~10:30
イースター 夕礼拝
午後2:30~3:30
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※どの集会も参加費無料です。

イースターをご一緒に祝いませんか

イースターは、無実の罪で十字架にかけられたイエス・キリストが三日目によみがえられた日です。よく卵に色を塗ったりするのは、卵が新しいいのちを象徴するからです。また、ユリをかざることもあります。ユリは、長い冬の間、目に見えない土の中で球根のまま過ごします。しかし、厳しい冬が去った後によみがえったかのように芽吹いて、花を咲かせるからです。
聖書の教えるキリストの復活は、私たちに新しいいのちの希望を与えます。このイースターを御一緒に祝いませんか。

キリストの十字架と復活の意味

主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。
ー 聖書 (ローマ人への手紙4:25) ー

キリストの十字架の特別さ

イースターは、イエス・キリストの復活をお祝いするときです。この復活が、なぜ希望になるかを考える時に、救い主が復活される前にまず十字架に架けられて死なれたという事実を覚えなければなりません。
今でこそ、十字架はアクセサリーやお守りのように使われることがありますが、本来は処刑の道具でした。しかも、よほどの重罪人にしか使われない程のローマでも最も残酷な処刑法でした。あまりの残酷性ゆえに、その後廃止された程です。その刑罰を、人間から見ても何の罪も犯していないイエスが受けるなど、本来絶対にあり得ないことでした。それなのに、なぜイエスは十字架に架けられたのでしょうか。
イエスがお生まれになる約700年前に書かれたイザヤ書には、こう書かれています。「彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれた」(イザヤ53:5)。「虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。」(同53:8)。イエス・キリストは、人々が受けるべき神からの刑罰を身代わりに受けるために十字架に架かられたのです。

罪の身代わり

イザヤ53章は、「民の背きの罪」と書かれており、イスラエル人だけの罪かのように見えます。しかし、新約聖書のローマ3章には、すべての人は罪人だと書かれています。聖書の言う罪とは、国の法律に違反したことだけを指しません。嘘やごまかしを考えたり、ねたんだり、悪口を言ったり、自分本位に考えやすい心の性質をも指しています(ローマ7:7~23)。あらゆる悪い行いは、この心の性質から出て来ます。この性質がなければ、多くの規則は不要となり、本当に自由になります。世の中の多くの問題は、人の心の中に罪の性質があること、そしてそれを放置することが原因です。神は、心の中の罪をも見ておられ、すべての人は、死後に神から公平に裁きを受けなければなりません。
神は、罪はどんな小さな隠れた罪をも裁かれる方です。けれども、神は私たちを愛し、私たちが死後に受けるべき罰をすべて、全く罪のないイエス・キリストに負わせて下さったのです(Ⅱコリント5:21、コロサイ2:13~14)。救い主を信じる人が誰一人自分の罪のゆえに滅びることなく、罪から離れて生き、幸いを得るためです(Ⅰペテロ2:24~5)。そのために、神は最愛のひとり子をさえ、十字架に架けてくださいました(ローマ8:32)。わずかな罪をも忌み嫌われる神は、ひとり子を私たちの身代わりとするほどに、罪に汚れた私たちを愛して下さったのです(ヨハネ3:15)。

復活の意味

そして、キリストの復活は、神が人に罪への勝利を与えられた証しなのです。キリストを信じる者の罪が赦され、新たないのちが与えられる保証です。それと同時に、たとえキリストのように良い行いのゆえに理不尽な苦しみを受けたとしても、その後に、神が必ず報いと勝利を与えてくださる保証なのです(ピリピ3:10~15)。