みことばの糧9
神の賜物と主を知る者の幸い
イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
ヨハネの福音書4:10
あなたの人生にとって最も必要なものは、何でしょうか。そして、それを与える事ができる方は誰でしょうか。サマリアの女は、最初、それを知りませんでした。彼女が必要と思うものを追い求め、得た、と思う度裏切られてきました。しかし、私たちが本当に求めるべき「賜物」を知り、イエスがどのような方かを本当に知るならば、14節の言葉通りになるのです。「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」。
人を本当に活かす「いのちの水」
「水」は、人が生きていくために、なくてはならない重要なものです。現代の日本人には、その価値がわかりにくく、電気やガスの方が切実な問題かも知れません。確かに、今の日本は最低限の生活をしようと思っても、かなりのお金を必要とする社会です。しかし、当時のパレスチナの人にとって、またとくにこの女性にとって、水は明日生きていけるかどうかにかかわる重要ないのちの源だったのです。ある点で、私たちは、この水についてももっと感謝すべきかもしれません。しかし、その水は、確かに肉体のいのちにとって不可欠です。しかし、彼女の人生、彼女のいのちの価値を支えるものは、その「水」ではありませんでした。彼女は、その水のために毎日、パレスチナの猛暑の中を女手で水をくみ続けても、それを解決することができませんでした。また、彼女は、その「水」を「夫」に求めていたのでしょう(18節)。しかし、死別、裏切り等があったのでしょう。彼女の期待はことごとく裏切られ、五回の結婚に失敗し、なお正式な結婚が出来ない、後ろ暗い生活を続けなければなりませんでした。当時のパレスチナにおいては、夫に離縁された女性は、社会的に大変厳しいまなざしを浴びたのです。
しかし、彼女の問題は、容姿の問題でも、家柄、性格、能力の問題でもなく、何をどこに求めていたかでした。彼女は、「疲れ」果て(6節)、水を「汲む物も」持たないイエス(11節)には、何の期待もしませんでした。彼女にとっての価値観は、先祖であり(12、20節)、生活に必要な井戸をくれる人だったからです(12節)。その彼女にとって、イエスは、期待すべきものは何もなく、まして、その人物が彼女の「いのち」にとってなくてはならない「水」を持っておられるとは、思いもよらなかったのです。まさに、彼女がイエスに期待出来なかったその価値観こそが、彼女が神の「賜物」を拒んでいた元凶であったのです。その結果、物理的な水を追い求めても、夫を追い求めても、生きる価値は遠のいていったのです。
「いのちの水」への招き
しかし、イエスは、「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう」と語りました(14節)。この時、彼女は、まだイエスが誰かを知らず、その「水」が何であるかも知りません。しかし、幸いだったのは、「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい」と応答したことです。
彼女にとって、イエスという人物は非常に不思議に映ったことでしょう。自分自身が疲れ果て、喉も渇き、肉体的にはいのちが危険に瀕する状態です。それにも関わらず、決して失望もせず、卑屈にもならず、むしろ豊富に分け与えることができるという威厳と、喜びを持ち合わせていたのでしょう。また、イスラエル人が見下し、触れることさえ忌み嫌うサマリヤ人の女性に、お願いをするという謙虚な姿勢を持ちつつ、なお、その内面に豊かな宝を持っているように見えたのでしょう。ただ、彼女は、自分に水を求めるような弱く見えるイエスに、「生ける水」を求めたのです。この彼女の態度が、彼女の人生を大きく変えたのです。理解出来なくとも、求めるものが正しく、求める相手が間違っていないならば、その結果もまたついてきます。重要なのは、民族的な有利さを捨て、物理的な優位性も持たない、このイエスに求めることができるかなのです。しかし、このイエスの言葉の通りに、このイエスに「いのちの水」を求めるならば、その人は必ず受けるのです。
私たちの最も醜い弱い部分を知って近づいてくださる方
そのように彼女は、「汲む物も」持たないイエスに、「いのちの水」を求めました。するとイエスは、彼女を導きました。その時に、彼女はイエスがどんな方かを知るように導かれて行ったのです。その一部を彼女はすでに目の当たりにしていました。イエスは、ユダヤ人ならば決して近づかない、むしろ汚いものを見るように避けていく自分に対し、近づき、その手から水を求めてくださいました。イエスこそ、民族的な偏見に縛られず、汚れて価値がないと言われていた彼女に、しかも低い姿で個人的に近づいてくださる方だったのです(9節)。しかし、彼女は、さらにイエスの姿を知ることになります。イエスは、彼女の最も知られたくない秘密を知っておられました。彼女は、「第六の時」に水を汲みに来ています(6節)。「第六の時」は、イスラエル時間において、昼の12時。昼の日差しが厳しいパレスチナにおいて、その時間の外出は危険を伴う、誰も出歩かない時間帯です。その時間に、水を汲むなどという重労働は、本来考えられません。しかし、そこまでして昼間に水を汲みに来ていたのは、彼女が人目を避けていたからでした。彼女は、五度の結婚に失敗し、今も男性と同棲状態にあり、正式な結婚ができていなかったのです。今の日本であれば、あまり問題にならないことかもしれません。しかし、当時はサマリアであっても、このようなルーズな男女関係は忌み嫌われました。恐らく男性の裏切り、だらしなさ、あるいは死別もあったのかもしれません。また、離縁されたという社会的立場が、さらに結婚を困難にしたのでしょう。彼女は、良い結婚さえ出来れば、生活面においても心の面においても解決する。そう願い求めたでしょう。けれども、求めれば求めるほど、さらに泥沼に陥り、さらに人目に出られなくなったのです。ところが、イエスは彼女の、その最も知られたくない秘密を知っておられたのです。知っておられてなお、彼女に近づいてくださったのです。
神に造られた者として真実に向き合ってくださる方
それでいて、イエスは彼女に、「まことの礼拝者」「御霊と真理によって」「礼拝する」者として招かれたのです。彼女の後ろ暗い部分の無視することなく、まだ不道徳に妥協することなく、けれども、神に造られた人として真実に向き合ってくださる。そのために、神はイエスを遣わされたのです。
彼女の生き方変えた、マイナスをプラスに変えた「いのちの水」
このことを知った時彼女は、「自分の水がめを置いたまま町へ」飛び出ていったのです(28節)。これは、彼女の劇的変化を物語っています。まず、「水がめ」は、人目を忍んでもなお必要としていた水を汲むための重要なものでした。この「水がめ」こそ、イエスに対する優位性でもありました。けれども、彼女はそこに拘らなくてもよくなったのです。それ以上に大切な「水」を手に入れたからです。
さらに、彼女は「町へ」出て行きました。今まで彼女が避けていた場所です。人目を避けて、過酷な日中に水を汲まなければならなかったのに、彼女が最も避けていた人目のど真ん中に、自分から出て行く者に変えられたのです。さらに、それは他のサマリア人も待ち望んでいた「キリスト」(=救い主)の到来を知らせるためでした。受けるためではなく、与えるために出て行ったのです。誰に指示されるのでもなく。イエスは、「汲む者」も持っていないにも関わらず、彼女に「生ける水」を与える者として振る舞われました。今度は、彼女が与える者に変えられていたのです。本人も気づかないうちに。
本当に求めるべき水、本当に求めるべき方
彼女は、今まで必死に追い求めてきました。理想の「夫」を追い求めてきました。水を追い求め続けてきました。しかし、それらは、彼女の「渇」きを充分に癒すどころか、帰って渇きを強くし、裏切り、遠のいていったのです。彼女の持っていたサマリア人の民族主義、井戸をもたらす利益中心主義、それらの価値観を捨てて、イエスに「生ける水」を求めた時に、彼女の人生は一変したのです。満たされ、さらに分け与えるほどに満ちあふれるものとなったのです。夫婦生活も、井戸水を汲むという生活も何も変わっていないにもかかわらず。自分の価値から見て、何も期待するものを持たないイエスに、「いのちの水」を求めた時に変えられたのです。そのたったひとしずくで、彼女の生き方をこれほどまで劇的に変えてしまったのです。この水こそ、彼女が本当に追い求めるべき「いのちの水」だったのです。
あなたの価値観はどこにあるでしょうか。あなたは、それをどこに求めているでしょうか。確かに、イエス・キリストには、この世が価値を認める「組むもの」や「井戸」や名声もありません。けれども、その方に「いのちの水」を求めるならば、あなたはいのちの水に豊かに満ちあふれるのです。偏見を持たず、しがらみに縛られず、私たちの最も弱い部分、問題点を知っておられるこの方こそ、あなたのいのちに価値を与え、人生を輝かせる救い主なのです。そして、その方こそ、あなたの本当の問題を解決することのできる方なのです。そして、むしろ分け与えることの出来る者に、人を活かす者に変えることのできる方なのです。
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