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みことばの糧28

クリスマスにむけて―救い主到来の預言の成就2 ~苦難のまっただ中でともにいてくださる救い主

それゆえ、見よ。主は、強く水の豊かなあの大河の水、アッシリアの王とそのすべての栄光を彼らの上にあふれさせる。それはすべての運河にあふれ、すべての堤を越え、ユダに勢いよく流れ込み、あふれみなぎって首にまで達する。その広げた翼は、インマヌエルよ、あなたの地をおおい尽くす。

イザヤ書8:7~8

 

 預言者イザヤは救い主降誕の約700年前に救い主到来の預言をしました。その預言の一つがインマヌエルとしての救い主の到来です(イザヤ7:14、マタイ1:23)。このインマヌエルという言葉には、「神が私たちとともにおられる」という意味があります(マタイ1:23)。そして、イエス・キリストが焼く二千年前に地上に降誕され、地上で生きられた人生、そして成し遂げられた救いは、まさにイザヤ書の語るインマヌエルの姿そのものだったのです。そして、キリストがどのようにインマヌエルであったかを見るとき、イザヤの時代にユダ王国(イスラエル南王国)に対して語られたメッセージが今の私たちにも向けられていることがわかります。このメッセージこそ、聖書が語る本当のクリスマスのメッセージなのです。そして、そのメッセージは今の時代の私たちにも重要なメッセージを伝えています。

1、目に見えない神のご支配よりも手っ取り早いこの世の力に頼った民

 当時、イスラエルの南王国ユダは、今までにない危機に瀕していました。北王国を挟み北方に位置するアラムと、同族であるはずの北王国が手を組み、ユダ王国を攻めようとしていたのです。この危機に際して当時のユダ王アハズは、神に信頼しようとはせずアラムのさらに北方に勢力を広げていた大国、アッシリヤの手を借りて、アラムと北王国に対抗しようとしていました(Ⅱ列王記16:7~9)。しかし、民の考えは王とは違いました。むしろアラムと北王国のご機嫌を取り、和を講じ、身の安全を図ることを求めたのです(イザヤ8:6の「レツィン」は、アラムの王であり、「レマルヤの子」は、北イスラエル王ペカのこと。7:1も参照)。ユダ王とユダの民の考えは真逆でしたが、どちらも目に見えない神のご支配よりも、現実的に見えるこの世の勢力を恐れ、また頼ったことでは同じでした。恐れた相手と、頼った相手が真逆だっただけで、根っこは同じでした。そのようなユダの民の姿を、神は「この民は、ゆるやかに流れるシロアハの水を拒み、レツィンとレマルヤの子を喜んでいる」と指摘します。シロアハの水とは、城壁都市であったエルサレムの貴重な水源でした。その水は、決して派手な流れではありませんでしたが、エルサレムをよりどころとする人たちのいのちを豊かに支えていました。神のご支配も同じです。この世の経済力、権力、武器の力のように派手な力、手っ取り早い安心感・満足感はもたらさないかもしれません。しかし、本当になくてはならない助けを与える方です。そして、本当の危険からは必ず守り、どんなときにも絶対に見捨てない方であり、守り切る力を持っておられる方です。彼らは、そのように地味ではあっても、最も信頼でき、最も力強いよりどころを、自ら拒否したのです。

2、期待を裏切るこの世の力

 その彼らに対し、神は預言者イザヤを通してこのように告げます。「主は、強く水の豊かなあの大河の水、アッシリアの王とそのすべての栄光を彼らの上にあふれさせる。それはすべての運河にあふれ、すべての堤を越え、ユダに勢いよく流れ込み、あふれみなぎって首にまで達する。」(イザヤ8:7~8)。神は、ユダの王が頼りとするアッシリア、ユダの民が頼りとするこの世の力をくれてやるというのです。自分たちのいのちを支えている水を軽んじ、チグリス川、ユーフラテス川のような派手な力を望んでいるならその力を実感せよということです。チグリス川、ユーフラテス川は、確かに非常に大きく、豊かで、大地も潤します。けれども、同時にたびたびの氾濫で甚大な被害、大勢のいのちの犠牲ももたらす危険な力でもありました。そして、その力はユダの王や民の思い通りにはならない。確かに水は迫って来るけれども、それはいのちを支える飲み水としてではなく、いのちを脅かす大洪水のように来る。実際に、神のことばの通り、アッシリアの勢力はイスラエル全土を覆い、あと一歩でユダ王国を滅ぼすというところまで迫ることになるのです(イザヤ36章等)。

 神の目に見えず地味に見えるご支配は、人には頼りにならないように見えるかもしれません。それよりも、目に見える派手な力を現実的だと感じてしまいがちです。けれども、それらはしばしば御しがたく、不安定で、かえって自分に対して牙をむくことさえあります。

3、本当の危機に救いの手を延べる神の真実さ

 しかし、イザヤ8:7~8の厳しい宣告の最後に、神はこう告げているのです。「その広げた翼は、インマヌエルよ、あなたの地をおおい尽くす」。この言葉は、一見悲観的です。アッシリヤが「広げた翼」は、この世の力に頼るユダ王の期待(ユダの民も頼る相手は、恐れる相手は違っても根本的には同じ)とは裏腹に、ユダ王国を滅ぼす力として「あなたの地をおおい尽くす」。それでもなお、「インマヌエルよ」と神は呼びかけます。それでも、神があなたたとともにおられると言うのです。王も民も神に背を向け、神の力は価値がないと切り捨て、やがて裏切るこの世の力に依り頼んでいる。その結果、自分たちがその力で滅ぼうとしている。それでもなお、神は彼らを見捨てず、ともにいてくださるとの宣言がここにあります。そして、その言葉の通り、ユダ王国は、絶滅の一歩手前で、奇跡的に無傷でアッシリヤの手から救われるのです(イザヤ37:36~37等)。

4、まことのインマヌエルなるイエス・キリスト

 救い主の到来は、まさにこのような「インマヌエル」でした。当時、ユダヤ人たちはローマの支配下にありました。ローマに不満を持ちつつも、その力に依り頼んで身の安全を守ろうとしていました。ユダヤの王であったヘロデは、ユダヤ人でもありませんでしたので、あからさまにローマにこびを売り、ローマの権力をうまく利用していました。そして、多くのユダヤ人もそのようなヘロデ王を嫌いながらも、豪華な神殿を造ってくれたヘロデ王の力に頼り、とくに祭司の家系の人たちは、神よりもローマの権力にすり寄りながらユダヤの安寧を保とうとしていたのです。そして、西暦70年、彼らが嫌いながらも恐れ、また媚びていたローマの力は、ユダヤ人の反抗を機に、ついにユダヤを滅ぼしてしまいます。

 それと比べ、イエス・キリストは、ベツレヘムの家畜小屋でお生まれになり、当時ユダヤ人にも蔑まれた辺境ナザレで、大工の息子として育ちました。そして、成人してからも権力の座につくことも、当時の宗教的主流派であったパリサイ派につくことも、サドカイ派につくこともありませんでした。人々が期待するこの世の力をまったく持たずに、また持とうともせずに生きられたのです。だからといって、ユダヤを支配するローマに反抗することもありませんでした。たとえ異国人の支配者であろうとも、正しいことには従われました。しかし、媚を売ることもありませんでした。その姿は十字架につけられる前日、総督ピラトと会話されたその言葉によく表れています。

そこで、ピラトはイエスに言った。「私に話さないのか。私にはあなたを釈放する権威があり、十字架につける権威もあることを、知らないのか。」 イエスは答えられた。「上から与えられていなければ、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに引き渡した者に、もっと大きな罪があるのです」(ヨハネ19:10~11)。イエスは、当時の様々な権力のしがらみの中に生きながら、そのしがらみにまったく支配されず、自由でした。それでいて、弱い人を強め、罪人を悔い改めに導き、その教えと生き方は、外国人でさえ動かしました。「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すことも」ない(イザ42:3)優しさと、どんな圧力にも誘惑にも屈しない力強さを兼ね備えておられたのです。

 この方こそ、まさに「インマヌエル」でした。イザヤが預言した当時、この世の力がユダ王国ののど元まで迫ってもなお、神はユダに真実を尽くされ、すくいだされました。同じように、イエスも、ローマの力、ユダヤ人の権力者たちに敵対され、十字架にまでつけられました。それでもなお、信じる人々を本当の危険から救い出すことができる救い主だったのです。

5、このメッセージは今の時代にも

 クリスマスに来られた、イエス・キリストはこのような救い主です。イザヤが預言したように、神の目に見えないご支配よりも、目に見える、手っ取り早いこの世の力に頼っている人たちに、本当に救いを示すしるしです。確かに、神のご支配は、この世の力のように派手で手っ取り早い解決は与えないかもしれません。しかし、たとえ、この世のあらゆる力の支配下に置かれようとも、人間として本当に重要なものを奪われない、そのような守りと自由をくださる方なのです。この神の力は、目に見えず、人の鈍い心にはわかりにくいかもしれません。しかし、机上の空論などではなく、実際に隣国の脅威のまっただ中にあったユダ王国に対して、そしてローマの支配化にあったユダヤ人に対して示された現実の力なのです。そして、クリスマスは、今の現実を生きる私たちにも、同じメッセージを放っています。ぜひ、このクリスマスの時に、目に見えず、派手でなくとも、どのような時も見捨てず、私たちが思う危機ではなく、本当の危機から私たちを守ってくださる、神のご支配を知ってください。そして、それこそがクリスマスのプレゼントだということを知ってください。そして、神に反抗し続けたユダヤ人にさえも誠実を尽くし続けられた神の愛を知ってください。