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みことばの糧4

2022年2月13日

信じ従った者だけが経験する栄光

宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」ヨハネ2:9~10

 これは、カナの婚礼と呼ばれる出来事の一節です。この時、イエスの家族は、婚宴のホストという重要な役割を担っていました。ところが、婚宴の半ばにぶどう酒を切らしてしまうという大変な事態に陥ります。その時、イエスは給仕の者たちに、ただの水を汲むように、しかも約600ℓも汲むように命じました。遠い井戸まで重い水を汲みに行くのは、重労働です。しかも、ぶどう酒を切らしている一大事に、水を汲むなど意味がわかりません。給仕の者たちは、いつも以上に重労働に感じたことでしょう。さらに、イエスは、その水を宴会の世話役に持っていくように命じました。ぶどう酒が必要だと言っているのに、水など持っていけば、どれほど怒られるかわかりません。ところが、給仕の者の予想に反して世話役から返ってきたことばが、冒頭の聖句です。ただの水を汲んだはずであったのに、イエスのことばに従って、その水を世話人に渡すと、最高のぶどう酒になっていたのです。まるで自分たちが誠実で気が利くように思われ、世話役から最高の賛辞を得ることになったのです。

 聖書は、「汲んだ給仕の者たち」だけが、「それがどこから来たのかを知っていた」と記します。世話役も客も、最初から良いぶどう酒が取ってあったとしか思いませんでした。重たい思いをして、しかも理由もわからずにイエスのことばに従って水を汲んだ給仕の者たちだけが、この奇蹟を経験したのです。緊急時に水を汲むという無駄に思える行為でも、イエスのことばに従ったとき、必要が満たされただけでなく、最高の賛辞を受けるという素晴らしい結果を経験したのです。さらに、この出来事は、やがてイエスが十字架に架かられるとき、罪のない神の御子が私たちの身代わりによって流された血が、信じる者に罪の赦しを与えるものであることを示しています(ヨハネ12:23~25マタイ26:28等)。ぶどう酒は、人に束の間の非現実的な喜びを与えますが、キリストの十字架は、信じる人に罪の赦しによる永遠のいのちと喜びを与える、まことのぶどう酒なのです。

 聖書に記されたイエスのことばに信じ、従った者だけが経験出来る幸いがあります。ヨハネは、この隠れた奇蹟を「最初(第一、つまり最も重要とも訳せる)のしるし」と伝えます。イエスの救い主としてのしるし、神の御業は、そのことばを信じて従った者だけが経験させていただけるのです。その時は、理由がわからず、無駄に思えても、かえって状況を悪くするように思えても、最高の結果を見る喜びと栄誉を経験させていただけるのです。