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みことばの糧6

2022年3月1日

理解出来ないものを否定する問題

イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」 ヨハネの福音書2:19

 自分が理解出来ないことは、すべて否定する。そのような傾向はないでしょうか。しかし、そのような行為は、時に正しい人さえも罪に定め、攻撃してしまうことがあります。私自身も、本当に自戒しなければならないと思っています。イエスがこのように語られた時、誰もその言葉の意味を理解せず、信じませんでした。弟子たちでさえ積極的には受け止められませんでした。それは、イエスのことばが間違っていたからではなく、周囲の人の理解自体が間違っていたからです。

 イエスが、このように答えられたのは、イエスが異邦人の庭と呼ばれる場所で商売をしていた両替人や生贄にする動物を売る人たちを追い払った問題に端を発していました。ユダヤ人たちは、このイエスの行動を暴挙と受け止め、「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか」と迫ります(18節)。その問い掛けに対する答えが、冒頭の聖句でした。

 私たちも、この出来事の背景を知らなければ、イエスの暴挙に見えてしまうできごとです。けれども、背景を理解すると見方が変わってきます。

この出来事の背景

 まず、「両替人」は、聖所で献げられる貨幣に両替する人のことです。神殿で献げる貨幣は、シェケル銀貨でなければならなかったため、とくに異邦人は自分のお金をシェケル銀貨に両替する必要がありました。両替人はその手数料から利得を得ていたのです。さらに、「牛や羊や鳩を売っている者たち」(14節)もまた、当時礼拝するために必要であった動物を売ることで稼いでいました。彼らは、異邦人を神への礼拝者として大切に迎えるのではなく、彼らの礼拝を利益を得るための道具としてか見ていなかったのです。その証拠に、彼らが商売をしていた場所は、「異邦人の庭」と呼ばれる場所でしたが、異邦人は神殿建物内部に入ることが許されず、この「異邦人の庭」こそ彼らにとっての礼拝所でした。そこを、彼らは利得を得る場所とし、動物や自分たちの欲望で汚し、異邦人を軽んじていたのです。

ユダヤ人の「神殿」理解の問題

 また、彼らがイエスの答えに対し、「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか」(20節)と答えているところにも、ユダヤ人たちの本心が現れています。ユダヤ人が「神殿」と呼んだ建物は、ヘロデ王がユダヤ人の機嫌を取り、彼らを掌握するために紀元前二十年頃から建て始めた壮麗な神殿でした。ヘロデにとって、その神殿は、神に対する信仰心の現れではなく、ただ、ユダヤ人の反抗心を削ぎ、自分の支配を安定させるための道具に過ぎませんでした。そのように見た目で壮麗でも、人間の欲望にまみれた場所を、彼らは「神殿」と呼んで喜んでいたのです。そして、異邦人の礼拝は踏みにじっていた。しかし、イエス御自身は、その語られることば、行う行動、すべて神の命令通りに従っていました。イエスのからだこそ、まことの神の御心を、目に見える人のかたちと行動で具現化した存在でありました。両替人たちに対するイエスの怒りも、まさに異邦人の礼拝者を貶める彼らに対する神の怒りそのものでした。イエスは、そのからだをさして「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」と言われたのです。

心に隠れた真の問題を取り扱われるイエス・キリストのことば

 イエスがユダヤ人に答えた言葉は、イエスが十字架の後、三日目によみがえるという預言でもあります。しかし、それだけでなく、彼らが「神殿」と呼ぶもの自体が、神の住む場所ではなくなっていたことを鋭く指摘する言葉でもあったのです。神に対して、その「神殿」に対して暴挙に出ていたのは、イエスではなく、実にユダヤ人の方だったのです。

 私たちは、自分に理解できないからといって、ある言葉や事実を否定するとき、自分自身の理解が足らないだけということがあることを認めなければなりません。そのような時に、相手を否定すれば、無実な人を罪に定め、神に対して罪を犯すことにもなってしまうのです。

 とくに、聖書を読むとき、聖書に記されたイエスに向かうとき、その事実を認めることが大変重要なのです。この聖書の言葉は、イエスが常に私たちの心の奥底にある問題を見て、それを取り扱っておられること、そしてイエスこそその問題から私たちを救い出すことの出来る方であることを私たちに教えてくれています。